「難民=資本」全文


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難民は未来のアヴァンギャルドである。難民たちははじめて、世界大に広がった真の超国家的難民共和国をつくりだしているアメリカ合衆国やカナダ、オーストラリア、イスラエルといったこれまでの難民共和国が難民を求め、彼らの受け入れの正当性を競ったのはそんなに昔のことではない。今日では、産業が税制その他の誘因によって一国から他国へと引き寄せられていくが、同様に、かつて成功した難民共和国は潜在的な移民たちをうまく言いくるめて国境を越えさせてきた。目下のところ、難民はほとんどつねに経済的、社会的なお荷物と見做されている。それは片目で生活水準を、片目で現状維持を見つめる近視眼的な展望であると同時に、国家的関心という名のもとにとられる行動の神話でもある。そしてそれこそが、難民や移民、亡命希望者、遊牧民、流民たちに、彼らの意志に関わらず、国際的なアヴァンギャルドの役割を担わせているのだ。国連が認定した難民は公的な身分ゆえにキャンプに閉じ込められ、国際的なチャリティの捕われ人となっている。このグループは単にただ超国家的なだけでなく、多言語、多文化、多宗教だ。領土もなければ、首都もない。民主主義の構造も通貨もないし、GNPや適当な政治的表現の形態もない。

国連によって公式に認定された難民の数1900万人(1)は、ヴェネズエラやイラクの人口、あるいはブルガリアとハンガリーを合わせた人口に等しい。この数はオーストラリアや先の東ドイツの人口よりも多い。しかし実際には、世界中にいる未公認の難民の数はこれよりもはるかに大きい。USCRは4700万人と見積っており(2)これは第二次世界大戦が生み出した難民の数とほとんど同じである。しかし当時の彼らはほとんどがヨーロッパの人間だったから、比較的早く他の西側諸国に吸収されていった。今日の多民族からなる難民はグローバルな現象であり、その多岐にわたる文化は単純な同化を拒む。1983年以来、このグループは世界人口のなかでもっとも急速に成長している。年平均で10から20%の勢いだ。世界中に点在しながらも、これら異邦人たちの合計は世界人口の1%にもなり、人口番付上位220ヶ国の20位に当たる。難民共和国の人口はトルコの人口に匹敵する。イギリスやイタリアの人口にも近い。レバノンの15倍、カナダやアルジェリアの2倍だ。もしこの勢いが続けば、難民共和国の人口は10年以内に合衆国やロシアの人口を上回ることになるだろう。

もしも難民たちをまとめて、(1平方キロ当たりおよそ37人という世界平均をもとに)彼らに相応しい領土面積を割り当てるとしたら、その合計はフランス、ドイツ、イギリス、イタリアを合わせた(あるいはモンゴル一国)ほどの大きさになるだろう。各大陸に散らばった連合国家として、それは地球上に広がり、その領土に太陽が沈むことはない。過去の難民共和国は、発見され、征服されるべき、ほとんど人の住んでいない広大な地域を抱えていたことで発展してきた。今日、武力征服が行われないのは単に道徳的な理由だけからではない。だれもが予想するのはピュロス王の勝利、つまり犠牲が多くて割りに合わない勝利。まれに勝者になれたとしても、戦争による経済的破綻が待っている。地球上の土地は発見されつくされており、地図化され、変動はあるものの、密集して人が住んでいる。エコロジカルな許容量はほぼ限界に達している。宇宙開発は新たなフロンティアの発見と宇宙の植民化という20世紀の夢を呼び起こしたが、その約束はいまだ果たされぬままになっている。

次世代の難民共和国は伝統的な意味での国境を求めない。ジプシーたちは自分の国を持ちもしなければ求めもしない稀な民族だが、彼らなどは通常の意味での領土占有を回避する人々のよい実例である。シンガポール、ホンコン、リヒテンシュタインは小さな領土を管理して成功した国々だ。地政学的に見た立地の方が規模よりも重要であり、高度に発達した教育制度が成功のひとつの基礎となってきた。世界最大の国家、先のソビエト連邦を構成した広大な領土は、その生存を保証するよりも、その崩壊に貢献した。小さな領土が必要なら、国連が土地をより大きな国から賃貸することも可能だろう。これはひとつのモデルとして、国際法と国連の諸々の条例、決定、理想とをうまく調整する好機を与えてくれる。また今なら、電磁スペクトルの一部を準領土的なエリアとして分け与え、難民共和国の経済的、組織的な基礎にさせることも、十分理にかなうことだろう。国連が難民共和国の統治権を設定してそれを維持し、市民を保護することができる(3)。国連加盟国なら、それくらいの余裕はあってしかるべきだ。行政と代議制度については難民共和国自身によって運営されるべきだろう(4)。その影響範囲は人口移動のルートとコミュニケーションの構造によって規定される。それは国家の範囲を透明にする。市民権は公式の難民共和国パスポートが発行されるまでは、世界で通用する通過ビザで判断されるだろう。富裕な有閑ジェット機族や国際ビジネスマン、経済難民、文化難民、移住労働者といった人たちの境界が流動的になる。飛行機は一時的な“メルティング・ポット”となり、航空会社のルールにのっとった難民共和国が現実のものとなる。すでに世界の首都(『30億+都市ネットワーク』)(5)はそれらが代表する国家とよりも、お互い同士でより強く結び付いている(6)

現在世界で動いている難民経済の全体を見積るとなると、ただの統計的な問題では済まないし、その存在自体、多くの人に疑問視されてもいるのだが、エジプトの移出労働者がこの国の年間輸出総額の75%を海外で生みだしていることを見れば、難民経済の潜在的な規模が推し量れる(7)。パキスタンやバングラディッシュ、その他多くの国では、移出労働者からの財政的支援なくしてはやっていけないだろう。先のユーゴスラヴィアの移出労働者でさえ、年間輸出総額の38%を稼ぎだしていた。政府は決して認めないが、タイはカンボジア難民から多額の金を生みだしてきた(8)。10年以上にわたって30万人以上の土地を追われた人々がキャンプ生活を送るわけだが、彼らの生活を賄うための救援物資その他は、すべてタイ国内で購入されている。1992年、 UNHCRの予算は12億ドルに近づき、それはますます増え続けている。

難民共和国は国際的な力を持つことから利益を得られる。公式には意味ある領土も通貨もないが、少なくとも国連の予算はある。貿易はないが、貿易を禁ずる法律や国境に影響を受けない超国家的なつながりや知識がある。政治構造はないが、平和と自由を希求する強い意識はある。共通言語はないが、共通の関心と運命をもつ。

合衆国はヨーロッパの制度的、哲学的理想から利益を得てきた。ヨーロッパの理論はアメリカの土壌で、どちらかといえば独自に、重い歴史からの重圧もなく、全世界のモデルへと発展していった。今日のヨーロッパは納得のいく鏡像として、アメリカの展望から利益を受けている。それが自分たちの現在と未来に関するたしかな視野を与えるのだ。しかし、移民を受け入れてきた国々はすでに飽和状態に達しており、もはや世界のスペクトルを代表する余裕はない。この意味で言えば、アメリカと世界は新たな難民共和国を必要としている。それは、一部はまだプレ政治的な状態にあり一部はすでにポスト政治的な状態にある、世界の鏡となるものだ。近代のイデオロギーのスーパーストラクチャーとそのヴィジョンが失われ、なんとなく相対主義が好まれる時代。拡散するグローバリゼーションが部族状態化(民族主義化と地域主義化)を助長する世界。こんな世界の、鏡となるものである。ジョセフ・ナイが考察したように(9)、世界はひとつの村に溶け込むというよりは、村々がますます近づき、お互いの防護距離を消しつつあるという状況になってきている。地理的な孤立は情報の霧のなかに消え去った。多くの家族が、ひとつの巨大なアパート複合体に入るよう、迫られているのである。

民族というものが統合された領土と共通の文化、言語(アイデンティティ)からなると仮定すれば、今日、多民族的でない国家はほぼ存在しない。しかし、国家なしに存在する民族はある。クルドやナバホ族、あるいはPLOをはじめとする諸機関がそうだ(10)。難民共和国もこのような形状の国家を原則とするだろう。それは異なるもののなかに見いだせる共通性に基礎をおき、世界大の情報ネットワーク(InteR/R-Net)と、人間の権利(11)と義務に関する今日的な、そしてなかんずく実用的な再解釈によって結ばれる。国家を構成する要因は逆境下での人間存在であり、そんなことがますます起こるようになりつつある世界の状況そのものなのだ。ラルフ・ダーレンドルフが嘆いた「野蛮に向かう多様性」ということが、とどのつまりに難民共和国が直面する宿命的な課題を述べている。難民共和国が学ばねばならないことは、存続するつもりなら、文化の多様性を仲裁するはじめての国として、国家原則というものについて、そして世界が求める集団主義と個人主義というものについて、必要となるものの見方と変化とを根本から定式化することだろう。

このユニークな超国家的、超領土的な難民たちの国は、他の国際機関同様、国連に加盟し、代表を送り込むに値するものだ。そしてこうなれば、世界はその実験と経験と問題解決を見ていられるし、もっと直接的なやり方で関与もできるだろう。伝統的な軍事行動では成功の見込みのない、将来の情報的、経済的軋轢を解決し、それを終わらせるために、先見の明をもって、安全保障理事会の常任席を割り当てることもできるのだ。

つまりは、難民共和国である。


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注釈

(1) UNHCR statistic, August 1993

(2)US Committee for Refugees, 1990

(3) 国連監修のインドシナにおける難民キャンプ幼児死亡率統計の、一見不条理に見える数字でも明らかなように、国連はこのようなことをする能力がある B1980年代を通して、それは世界中でもっとも低い数字だった。

(4) 自分たちの運命をコントロールできないために、長年にわたる難民キャンプの収容者たちは多大な被害をこうむっている。彼らは受け身の忍耐を強いられ、物乞いにおとしめられている。タイのカンボジア人キャンプの、あらかじめ用意された慈悲深い退屈さに打ち勝つための唯一の楽しみ は、レジスタンス戦闘員として自国に一時帰国することなのだ。

(5) The United Multicultural City States of the World, The Shape of ities in the Future, Intercommunication Spring 1992,Tokyo

(6) Gregory C. Staple, Telegeography-Global Telecommunication Traffic Statistics and Commentaryを参照。ステイプルは、テレコミュニケーション網に基礎を置く大量のテレコミュニケーション・トラフィックによって生まれる「テレ大陸」について述べている。彼は地理的な比率関係として、こういう大陸の姿を描いている。

(7) エジプト政府の手配により、80年代半ば、100万人から200万人と見られるエジプト人が海外負債を労働で返すためにイラクにいた。

(8) タイは1951年の国連協定および、1967年の国連議定書に調印していない。1979年のジュネーブでのインドシナ会議において、国連が財政的保証を決め、西欧諸国がベトナム人の受け入れを約束してはじめて、難民はとどまることを許された。NGOの傘下組織によると、それに先立つ数か月のあいだに、40万人以上の人間が地雷の埋められた国境を越えてベトナム軍前進部隊がいる方向に向かって戻るように強制された。多くの人々が戦闘を生き残れなかった。

(9) Joseph S.Nye JR.,"What New World Order?", Foreign Affairs, Spring 1992

(10) インド、パキスタンのシークはカリスタンの独立を要求しているし、スペインのバスクは自治権を要求している。イヌイット、タミール、エリトレアンは国を持たず、あるいはいくつかの国に散らばって生きている。クルドはトルコ、イラク、イラン、シリア、アルメニア、アゼルバイジャンの一部で生活をしている。

(11) ウィーン人権会議(1993)の期間中、『バンコック・デクラレーション』紙では、これまでの至聖としての人権という考えとは公式に関係を断ってもいいではないか、そんなものは西欧の伝統と歴史に過ぎないのだとする意見が議論されていた。


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