難民あるいは移民は、単に問題であるのみでなく、全地球的な資本構造から見れば、それ自身が解決策でもある。地球大に広がったネットワークとその独特な組織形態は、社会経済的に、また政治/イデオロギー的にも、まさに黄金時代のアヴァンギャルドとなるには最高(恐らく唯一)の候補と言ってよいだろう。世界はこれまで、疲弊した歴史的な社会政治構造を緩やかに調整するに留まっていたが、未来は、このような難民共和国にかかっているのではないだろうか。
近代の代表的難民共和国であるアメリカ合衆国は、世界でもっとも裕福な国となるには、外国人が常に流入していることが重要なポイントであることを示している。しかしながら、この点については世界的にあまり意識されていない。新たに難民を受け入れることが社会的、そしてエコロジカルな意味でも困難になってきているということは、アメリカが、長期的には国際的な権威とリーダーシップを失いつつあるということではないだろうか。なぜなら、そうなってはもはや文化、文明、そして宗教のスペクトラムを包括的に表象することは出来ないからである。それと同時に、国境は高性能でしかも簡易な監視機器と「受動的」な武器、特に地雷によって世界中に簡単に作られ守られている。民族的、国家的、そして地理的な寛容の範囲が、交通革命と情報爆発の犠牲になっている(1)。境界線ははいとも簡単に作られてしまうのだ。
すでに言われているように、今日ほど戦争が起こりやすく、しかも終結し難い時代はない。それゆえ、増加する一方の、公式に認定されている1900万人の難民人口(実際には推定5000万人弱)は、世界中に散らばり、それぞれの国連キャンプに集まっている。これまでのところ、流民となった人たちの数は世界人口の1%にものぼる。次世代の難民共和国の可能性は、長期的にははっきりしている。多宗教、多言語、多文化で社会観念的になるであろう実験的超領土国家がかたち作られ、経済的な挑戦と数々の実験は、その存続を可能にすると同時に問題の解決を余儀なくさせる。それは、残りの世界の構造モデルとして作用し、将来的には汎国家、超国家となるだろう。真の未来のアヴァンギャルド、難民共和国は、具体的でダイナミックな現実の純粋なパースペクティブなのである。
(1)交通手段の飛躍的発達と情報の爆発によって世界は「狭く」なった。その結果文化や宗教の違うものを物理的に近づけたが、さらに紛争や諍いを招くことにもなった。